こと

vol.1

人の営みが息づく豊かな森で、
心も身体も喜ぶ森林セラピー。

心身ともに癒される森林セラピー

「足の裏に、目に、鼻に、ほっぺたに、意識を集中させてみてください。普段は視覚で捉えていることが多いと思いますが、感覚をより研ぎ澄ませて…」

 

 ガイドを務める葉狩健一さんが静かに語りかけると、参加した大学生は自然に身を任せるように目を閉じ、数分間の森の静寂を感じた。

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 町面積の93%が森林という智頭町では、その豊かな森を使って心身をリラックスしてもらう森林セラピーを2011年から開始。森林セラピーは、森林浴を一歩進めたもので、副交感神経の活性化や脈拍数の減少などにも効果があるとされている。ストレス社会と呼ばれる現代で、社員にリフレッシュしてもらおうと研修プログラムを行う企業や、自然の中でゆったりとした時間を過ごしたい人などにニーズが高まってきている。

 

 この日は山形地区、芦津渓谷にあるコースを散策。春から夏にかけては鮮やかな新緑に、秋は美しい紅葉と季節によってそれぞれの魅力を見せる芦津コースは、昭和38年くらいまで林業で木を運び出すトロッコ列車が走っていた道を使っており、まさに、歴史ある林業の町ならではコースだ。

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 リュックを背負った葉狩さんを先頭に、大学生二人、最後尾にはサブガイドの松島淑子さんが続く。「あ、これ知っている?サロメチールってあるでしょう、それと同じ効能を出すミズメの枝です」。葉狩さんが道沿いに咲く草花を紹介すると、参加者も興味津々な様子。ゆっくりと森を楽しみながら歩を進めてゆく。

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 智頭町の森林セラピーの魅力は、目的や好みの応じてさまざまなコースを使い分けられるところ、と葉狩さんは言う。「深い渓谷のある芦津コースもあれば、尾根を歩いて視界の変化を楽しめる天木コース、常に川沿いを歩いてせせらぎを楽しめる横瀬コース、綺麗な造林が行き届いて街中に近いこもれびコースと、豊富なコースがあります」

 

 ガイドとなって6年目となる葉狩さん。県職員として長年働き、70歳となった今は地元の森の案内役を務めている。「20代の頃から山岳会に入っていたし、小さい頃から山との関わりはありますから森林セラピーが始まってからもずっと気になってはいたんです。6年前に資格を取って、本格的にガイドをし始めたのはこの3年。地元のいろいろな役に就いていたのも一段落し、そろそろ何かお役に立ちたいと思いました。私自身、山が好きなのもありますし、山に入るとやっぱりすごくリフレッシュできるんですよね」

 

 松島さんは、智頭町の自然や暮らしが気に入って、県外から移住。現在は地元女性が継承してきた藍染めをしたり、ゲストハウスで働きながら暮らしている。昨年からは毎月1回行われる森林セラピーの講座を受け、この春からガイドとしてデビューした。「智頭町に暮らしていると、自然との関わり、山との関わりが身近にある。森林セラピーのガイドをやりたいと思ったのは、もっといろんな山のことを知ることができると思ったんです」

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 ガイドをしているとさまざまなお客さんとの思い出ができる。「何年か前に、東京からいらっしゃったシンガポール人のお二人が『こんな環境は見たことない』と驚かれて。森の中でこもれびがさしこむ場所で、目を閉じているときに涙を流されていました。心が解放されんだなぁと、いまだに印象に残っています」と嬉しそうに話す。

 

 「若い頃には気づかなかったんですけど、智頭の森はいろいろな顔があって、懐が深い。ガイドをして改めてそういうことを感じます。森に入ると、お客さんだけでなく、私たちガイドも癒され、自分の中の変化を感じることができる。もともと人間は自分自身の中に回復力を持っています。五感を大事にしながらそれを取り戻すことを私たちはサポートするだけです」

 

 この日は往復3kmほどを歩いた大学生たち。折り返しとなる場所では、思い思いの場所で「自由に森を感じてください」と葉狩さんに言われ、二人はそれぞれ動き始めた。一人は少し小高い岩に座り、森の空気をゆっくりと身体に取り入れるように静かに目を閉じ、また、一人は土のある場所に座って周囲に落ちている枝や葉を手にしては、感触を楽しんだり、匂いを嗅いでみていた。

 

 どうしても情報を得るためにスマートフォンやパソコンといったデジタル機器が手放せない時代。意識せずとも目や耳からは常に情報が忙しく入ってくる。それらから解き放たれ、「普段、こんなに落ち着いて自然を意識することがない。身体が本当にリラックスしているのがわかります」。自分の身体や心に余白を感じたようだった。

 

 森林セラピーは、たくさんのプログラムをこなすというよりも、立ち止まったり、座ったりして、森に流れている時間に自分の身と心を委ねる。しばし時間を忘れて自然の中で過ごしてみては。

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民泊を通し、森を守ってきた
地元の人たちの暮らしを知る

 森を歩いて自然を体験してもらうだけでなく、町民との触れ合いの中で、智頭町の魅力やどのように森が守られてきたのかを肌で感じてもらうこともできる。智頭町では10年前から一般家庭宅に宿泊ができる「民泊」の仕組みを作り、毎年馴染みの家に泊まることを楽しみにしているファンもいるほどだ。

 現在、民泊協議会の会長を務める小林一晴さんも、7〜8年ほど前から自宅を民泊に登録。誰とでもすぐに仲良くなる小林さんの人柄と、元栄養士の奥様が作られる家庭料理も人気で多い時には年間50人ほど泊まりにきたという。「ずっと町外で働いていたので智頭に貢献というか、恩返しというか、何かしたいと思っていたんです。いろいろなところからお客さんが来てくれるのは楽しいですよ」と笑顔を見せる。

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 一緒に食卓を囲み、お互いの話をする中で、縁ができるという。小林さんの家に民泊をしたのをきっかけに、林業に興味を持ち、数年前に智頭町に移住したのが橋本登志郎さん。現在は社員を雇いながら林業を生業としている。「彼は林業に興味があってね。それで私からもお話できることは伝えたと思います。今は我が家の山も彼に手入れしてもらっているところもあって、そうやって智頭にやってきて頑張っている人はやっぱり応援したいですよね」。小林さんのような地元の山を守ってきた人に直接話が聞けるのは、貴重な体験になったはずだ。

 

 小林さんの家は、代々いくつかの山を持っている山主で、小林さん自身も林業や農業をやっていた父親の仕事を見て育った。「昔の生活は、春に田植えをして秋に収穫をするまでは農業が忙しく、それ以降は山の仕事をしていたもの。小さい頃は自然林が多く、木を切ったり、炭を作ってうる炭焼きをしたり。そうやって、暮らしと森は身近なものだったんです」。自宅裏の山を見せてもらうと、綺麗に間伐されていて、樹齢100年を超える大木が立派に育っていた。小林さん自身も数年前まで山に入りながら自ら手入れをしていたのだという。

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 山のことだけではない。取材の日も、「今こうやって育てとるんですわ」とニホンミツバチの巣箱に、素手で手を入れてハチを見せてくれた小林さん。数年前からは地元で食べられてきた漬物「やたら漬け」を特産品として売り出そうと、メンバーを募って暮らしの伝統を継ないで行こうとされている。

 

 宿泊されたお客さんにも、智頭の山のこと、ここでの暮らしのことを伝え、何かしら感じてもらえたらという。「一緒に近くにある天木セラピーロードを歩いてみたり、見たい、やりたいということは案内してあげるようにしている。仕事に疲れたという一人旅の方も1日目で調子がよくなって、元気になられたこともありました。たくさんの人に智頭の自然や空気に触れてもらい、智頭の暮らしを楽しんでもらえたら嬉しいですね」

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