vol.1
時代を超えて受け継がれる味。
手間ひまかけて、いただく山の恵み。
五月田栃ようかん
山間にある智頭の中でも、芦津や八河谷といった奥深い集落でしか取れないのが栃の実で、昔から貴重な山のめぐみだった。特有の風味があるが、それが餅やようかんにすると甘みと合わさって旨味を引き出してくれ、一度食べたらクセになる美味しさで地元住民に愛されてきた。
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那岐山の麓にある五月田集落では、智頭の味を伝えていこうとする女性たちがいる。「最初は田んぼを耕作放棄地にしないために何かできないかと集落で話し合い、それなら餅だろうと。五月田振興協議会ができて、餅米をつくり始めたんです」と、代表の谷口貴美恵さん。13軒の小さな集落は「みんな家族のようなもの」。商品作りだけではなく、夏には地元の極楽寺の祭りがあり、自分たちで大きな打ち上げ花火をあげるなど、「思いついたらなんでもやってみようの精神でやってしまうのが五月田」と谷口さんたちは楽しそうだ。
自分たちの工房で、今は女性4人が中心となって活動。丸餅やかき餅、最近つくり始めたなた豆茶やキクイモ茶など、地元の食材の良さを生かした品々が人気を呼んでいる。中でも当初から定番で作っているものに栃餅があるが、餅は夏場に需要が減るため一年中作っていると食材のロスが大きいことが課題だったという。そこでできたのが栃ようかんだった。
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「栗ようかんがあるなら栗に似た感じで栃ようかんができるかもしれないと思いつきました。でも、そこから試行錯誤の連続でした」。栃の実の苦味と風味を、甘さとバランスよく合わせるかが鍵だったという。「栃の実は蒸しただけだと苦味が強いので、一晩シロップ漬けにしてから使うようにしています。普通のようかんよりは甘みが控えめですけど、栃の実の食感と風味を感じてもらいたいなぁと思っています」
栃ようかんは、今や看板商品の一つ。「栃はアクが強いため、アク抜きをするアク合わせという下準備がとても手間がかかるし、難しいです。それができる人もどんどん少なくなっています。最近では、栃の実自体がシカに食べられてしまってなかなか取れないようになっているとも聞きます。餅やようかんにして、栃の実の美味しさを少しでもたくさんの人に知ってもらい、残し伝えていきたいですね」
芦津の栃名人
五月田の工房が栃の実を仕入れているアク合わせの名人が芦津集落にいる。寺谷常雄さん、82歳だ(2021年3月末現在)。五月田の谷口さんも「ようかんに使うには、できるだけ栃の形が残っている方が良くて、常雄さんのものは味も形もとても良いんです」と信頼を寄せている。
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芦津は、昔から栃の木がたくさんある場所で、千本以上は生えとる。昔の人はいい場所を知られないように、夜が明けないうちからみんなが歩いて拾いに行っていたもんだ」と寺谷さん。60歳で仕事を辞めてから山の資源を使って村おこしに役立てようと、栃の実づくりに励んできた。
栃の実づくりは、9月から始まり、そこから数ヶ月かかる。寺谷さんは山へと出向き、合計400kgもの栃の実を拾うという。数日間天日干しにしたものを1週間ほど水につけ、そこから木で押しつぶすように実を取り出すのだが、「この時に栃のしぶきが飛ぶことがあって、目に入ると痛くて大変なんじゃ」と苦笑い。それをまた清流につける。最後に灰を混ぜてアク抜きがあるのだが、「栃の実に対し、灰をどのくらい入れるかが難しい。それが合えば美味しくなるし、合いすぎたら実が丸く溶けて形がなくなってしまう」と話す。
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「芦津も昔は住民が多く、今ほど米ができんかった時代があった。空腹を満たすために、もち米に混ぜて食べたりしたんだわ」。栃の実をつくる家も50軒もあったのが今は10軒ほどになったという。「なんとかこの地域が元気であってほしい。栃は手間もかかるし、つくるコツもなかなかつかめんかもしれんが、一人でもこうした食文化を残そうという想いを持った若い者が増えてほしいなぁ」と願う。
栃を次世代へ
芦津集落では、栃の食文化を受け継ごうと近年、同じ集落にある山菜料理店「みたき園」で働く若いスタッフたちが寺谷さんの指導を仰ぎながら栃の実の下ごしらえに奮闘している。これが春以降に栃餅として販売されるのだという。
12月から3月まで冬季休園中のみたき園では、冬場は春に向けての準備期間になる。栃の実づくりも、凍てつくような寒さの中で行われる。寺谷さんに指導を受けているスタッフの皆さんは、難しさを感じつつ、その奥深さを楽しんでいる様子。「実を取り出すのをここら辺では『にじる』と言います。木を使って潰しているわけではなくて、実が潰れないように圧力かけて皮と実をずらす感覚。常雄さんは剥き方も早いし、五個くらい手に持ってパッと剥いてしまう。アク合わせもまだまだ難しいですが、常雄さんに習ったやり方だと実もちゃんと残るし、美味しい栃餅になるんですよ」と話す。
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同店は、地域にある山菜や野菜を使った昔ながらの作り方を守っていて、旅行者にも人気を博している。若女将の寺谷亜希子さんも、50年続く同店の味、つまり芦津の食文化に対する意識が変わってきたと言う。
「栃の実は何年ももち、非常食としても重宝されたと聞きました。だから昔の人は飢饉に備えて木を植えたそうです。若い頃はこういう手間のかかる作業が田舎くさいと思っていたけど、ようやくそのことの尊さに気づきました。今はこういうことができるようになりたいなぁと思うんです」と、まっすぐに語ってくれた。
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